DFC探訪記
DFC探訪記
2023年7月23日
DFC(認知症フレンドリーコミュニティー)探訪記①
2016年11月、英国の南西部、デボン州のプリマス市を訪問した。英国内でいち早く認知症フレンドリー・コミュニティーの思想を取り入れて成功した街だ。日本からも自治体や福祉関係者、認知症の研究者らが相次いで視察に訪れている。その功労者がプリマス大認知症パートナーシップリーダーのイアン・シェリフ氏(77)だ。シェリフ氏は英スコットランド出身で、長年、航空業界で働いた後ケースワーカーに転身。その後プリマス大に招かれ認知症研究に関わってきた。現地を訪れた時、プリマスをどうやって認知症フレンドリーに変えていったのか、シェリフ氏に話を聞いた。(登場人物の年齢や肩書などはすべて当時のものです)
2016年のプリマス訪問時のイアン・シェリフ氏
プリマスでどう動いたか
英国では2010年、認知症対策の要として全国的な認知症アクション連盟(NDAA=National Dementia Action Alliance)が創設されました。NDAAは、医師やGP(かかりつけ医)、看護師やそれらの教育機関が集うハイレベルな組織です。
私は英国アルツハイマー協会の理事も務めていましたので、会議に参加しましたが、そこで「あなた方が所属する団体は、認知症のために何が出来ますか」「将来に向けて何が出来ますか」と疑問を投げかけました。それが発端で会議の参加者たちが様々なアイデアや戦略を考え、自分たちの組織に反映させることになりました。
私自身は、地元のプリマスで何をすればいいのかを考えました。とりあえず同僚の女性教授と一緒に考えたのが、サービスには「認知症フレンドリー=認知症の人にやさしい」の言葉を入れようということでした。 翌11年、プリマス市にローカルな認知症アクション連盟(PDAA=Plymouth Dementia Action Alliance)を創設しました。実はその時点で私たちには何の財源もありませんでした。そこで市長に協力を要請しました。忘れもしません。11年5月のことです。
市内80以上の企業や団体を市長のオフィスに招待し、お茶を飲みながら私たちが考えている活動を説明する場を設けてもらいました。と同時に、私たちの活動への協力を呼びかけたのです。理念だけでなく、実際に行動する組織を意識していました。
まず初めに行ったのは、プリマス市議会に対して私たちの活動を支えるスタッフを雇うため、いくらかの予算を与えてもらうことでした。
このスタッフの役目は、市内のあらゆる団体、企業、民間のボランティア団体、警察、消防署、医療機関やメディアまでを含めて、すべてが認知症アクション連盟のメンバーとして参加してもらうよう、呼びかけるための人材です。市側には「保健衛生の一部として、認知症の人に対する市民サービスの一環だ」と説明しました。
その結果、今では様々なアクションが進行しています。例えばラジオ局BBCデボンでは、毎週日曜日に「ディメンシア・ダイアリー(認知症日記)」という、認知症の人が自分の日常について語る番組が始まりました。
認知症の人にGPSを持たせ、迷子になってもすぐに発見できるレスキューチームも創設されました。認知症の人の家を戸別訪問して、火災報知機やガス検知器、消火器を設置する取り組みも続けられています。
世界で初めて、認知症フレンドリーなサッカーチームもつくりました。認知症の人をゲームに招待するだけでなく、チームに属する栄養士やトレーナーの知識を認知症のケアに応用してもらおうという試みです。
教育の現場でもアクションが実施されています。数学の授業では統計的な分析を通じて認知症に触れます。英語の授業では、生徒たちが認知症の患者や介護職員の人生を取材します。継続されれば、若い生徒たちは認知症の知識が十分に備わった大人に成長します。こうした教育への取り組みはいま英国中に広がっていますが、始まりはプリマスです。
プリマスには西ヨーロッパで最大の軍港、デボンポート海軍基地があり、退役軍人も大勢住んでいます。
まず、彼らのための認知症カフェをつくりました。カフェの費用は政府予算から支出されています。
カフェの開催日には、昔の軍服や勲章を身につけた人が大勢訪れます。友人たちとの絆や記憶を思い起こさせる場所になっています。英国内のほかの基地の街でもこの取り組みが広がっていますが、これもプリマスが発祥です。
プリマスを考える上で非常に重要な点は、市が経済的な支援をしてくれたことです。医師、民間団体、警察や消防といった人たちの認知症に関する活動に対して、市が財政的にサポートしています。
ほかに1万2千人の認知症サポーターと、数百人のキャラバンメイトが関わっています。これこそが、プリマスが認知症フレンドリー・コミュニティーのリーダーとして英国を牽引(けんいん)できた理由です。
将来的には地方の自治体のみならず、国全体として認知症に対する社会保障費が増大します。英国で認知症と診断された人の数は、現在の84万人から100万人に達するでしょう。
家族や友人などによる認知症の人への無償の介護が、2013年の1年間でのべ13億4千万時間にのぼったという報告もあります。この「労働」に対する資金的な援助がなければ、介護は疲弊し、生活は崩壊するでしょう。介護する人たちのサポートも非常に重要な問題です。
楽しいはずの旅行が
シェリフ氏の紹介で、認知症のボブ・チューダーさん(81)と介護するドロシーさん(80)夫妻に会った。プリマス市内中心部から車で15分ほど離れた郊外の集合住宅に住んでいる。
ボブ・チューダーさん(81)と介護するドロシーさん(80)
玄関を開けるとボブさんが迎えてくれた。「ボブだ。簡単で覚えやすいだろ」と笑った。居間の机にはドミノが並べられていた。家具大工だったボブさんが、認知症と診断されたのは7年前という。
夫妻の楽しみは、年に一度のスペイン領カナリア諸島への旅行だ。
しかし3年前、夫婦が出発地のエクセター空港で荷物検査場を通ろうとしたとき、職員から別々に検査を受けるように指示された。ドロシーさんが「ボブは認知症なので一緒に検査を受けたい」と伝えたが、受け入れてもらえなかった。
仕方なく先に検査を終えると、後方から警報音が鳴った。ボブのひざに埋められた金属製のボルトが金属探知機に反応したのだ。
職員はボブを壁際に追いつめ、質問を投げつけた。ボブさんは大きな音と職員からの質問に戸惑い、言葉を失った。別室に連れて行かれ、解放されたのは1時間後だった。
「お茶とケーキを口にするまでは、落ち着けなかったよ」とボブさんはおどけたが、「その時のボブの表情は、旅行の楽しさとはかけ離れていました」と、ドロシーさんは声を落とした。
帰国後、ドロシーさんはこの体験をシェリフ氏に訴えた。夫妻のことも含め、同様の話は多数報告されていて、アルツハイマー協会を通じ、政府と航空会社に届けられた。
やがて複数の航空関係者が集う場ができた。政府が掲げる認知症の国家戦略の柱の一つとして、「17年には、国内全ての空港で認知症に優しい環境を整える」という目標につながった。
夫妻が利用した空港では、認知症を学ぶ研修が職員に義務づけられ、政府が定めた空港の基準によって、認知症を含む障害者へのサービスが見直されたという。
夫妻が使う格安の航空会社でも、認知症の人のために車いすが用意され、荷物の受け取りなどを職員が介助している。日本からの直行便が発着するヒースロー空港も、職員7万6千人に認知症の研修を行い、16年に「認知症フレンドリー空港」となった。
「これは小さな変化に見えるかも知れませんが、夫婦で旅行に行くということは、ボブの人生を豊かにするためには欠かせません。この街では、こういう変化が少しずつ広がっています」とドロシーさん。
英国では病院、高齢者施設、銀行、アルツハイマー協会の関係者や地元ボランティアから政治家まで、認知症に関わる様々な人に会って話を聞くことができた。
その中で、「認知症の人のような『invisible disability person(一見して障害があるかどうか判別できない人)』」という表現を何回か聞いた。
英国が目指す、認知症の人を対象にした「認知症フレンドリーコミュニティー」の街づくりは、認知症の人だけでなく、社会的弱者の包括的な救済につながるだろう。
2019年5月にはイアン・シェリフ氏を招いて大阪で認知症国際シンポジウム(朝日新聞厚生文化事業団主催)を開催